
菅章哉は徳島支部に所属をするボートレーサーです。
チルト3度で強烈な伸びを生み出すレーススタイルを確立した人気選手のそこに至るまでの道のりとは?
菅章哉
これまで
選手情報

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 徳島 | 105 |
幼少期
徳島鳴門市出身の菅章哉はボートレーサーを志すも養成所試験を4回目で合格。阿南高専を中退する形で105期生として入所を果たします。
養成所時代
養成所時代の同期リーグ戦では勝率3.80、準優進出1回と同期内で誰よりも成績が悪く本人も劣等生だったと語る程に苦しい日々を経験。それでも同期達に支えられながら強制退所を逃れ無事に卒業まで至りました。
そして卒業前に行われる記念レースで後の自分のスタイルであるチルト3度を初めて挑戦するも結果は不発。本人すら「どうだったか覚えていない」と振り返るほど記憶にないデビュー戦となりました。

卒業から15年以上が経過した2025年に105期生の全選手が卒業時に抱負を述べる動画がYouTubeやTicTokにて拡散。
それぞれの選手が色々な表現方法を取る中で、菅章哉は画面後ろから全速力で走って来てハスキーボイスで抱負を述べていたことから「何でこの時からチルト3度スタイルなのか」、「今より声低いの意味が分からない」などのコメントが相次ぎました。
伝説のデビュー節
2009年11月にボートレース鳴門でデビューを迎えるも翌日の2戦目にして早くもフライング失格。別日には妨害失格を起こしたためデビュー節にして事故点50点を叩き出すという不名誉な伝説を作りました。
そして事故を起こしたレースで一緒に走っていた先輩からは「俺のこと殺す気か!」と激怒してピットから水面に蹴り落とされ、同県の先輩からは顔面にビンタをされると心身共にボロボロになるレーサー人生の幕開けとなります。

節間終了後の打ち上げで先輩に水面に落とされたことを「水神祭出来ましたからねぇ」とネタにしたら説教を受け号泣をしています。
初勝利達成も
デビューから2か月後にまたしてもボートレース鳴門でフライング失格となりデビュー期にしていきなりF2の失格と長期のフライング休みを経験。
フライング休みを終え新期に入る直前の2010年4月25日にボートレース尼崎で6コースから初勝利を達成。F2本持ちの無名の新人のこの一撃は3連単115610円(98番人気)の大波乱決着となりました。
しかし、この初勝利の直後に怪我により約半年間の休養を挟んでおりもどかしい日々が続きました。
初優勝

デビューから3年が経過した2012年4月にボートレース下関で行われたG3新鋭リーグ(現 ルーキーシリーズ)にて6コースからの捲りで初優勝を達成。
後の自分のスタイルになるこの大外からの優勝でしたが、当時はまだチルトをマイナス調整で挑んでおり深谷知博(静岡支部)、茅原悠紀(岡山支部)といった面々を勝率4点台のB1級選手がまさかの形で飲み込む大波乱を演出しました。
この初優勝を機に徐々に成績を伸ばして行き2014年にA2級、2016年には最高グレードであるA1級に昇格と段階的に成長を遂げていきました。
迷走の末に見つけたチルト3度

A級にこそ昇格しましたが、なかなか思うように成績が伸びて来なかった菅章哉はレーススタイルの一新を行うことを決断。
特に6コースで無抵抗に何もできない自分への歯がゆさを感じており、今では考えられませんが6枠の際には何が何でも前付けに行くイン屋を試すもレース後に来る気持ちのモヤモヤが嫌で断念。
そして2019年、初めて地元のG1である大渦大賞に出場した際、師匠である近藤稔也より伸び型のプロペラゲージを渡されたことでそれを試したら見事にハマったことでチルト3度への挑戦を決意しました。

チルト3度のレースを始めるにあたってその原点ともいえる阿波勝哉(東京支部)のレース動画を何度も観て勉強。
自身が尊敬する選手、憧れる選手として今でも名前を挙げています。
F3の地獄
2019年から2020年にかけてF3を切ったことにより長期休養とB2級降格を経験。
これらの事故はチルトを跳ねてで外からレースをするアウト屋の代償でもあったことから、フライング休み以降はレースによってはチルト角度やプロペラ調整を臨機応変にするモデルチェンジを図りました。
ガースー砲
2021年、年間6度の優勝を決めたことで一気に注目を集め人気選手へと成長。
ダッシュ戦の一撃は当時SNSや芸能界を騒がせていた東谷義和の「ガーシー砲」をなぞり「ガースー砲」とも呼ばれファンの間でも浸透していきます。
翌2022年にボートレースクラシックにてSG初出場を果たすと5日目の一般戦にて代名詞であるダッシュ戦(4コース)からの捲りでSG初勝利を達成しました。

これらの活躍もあり投票数で出場選手が決定するボートレースオールスターの常連になった菅章哉ですが、選んでくれたファンの期待、その日しか現地に来れない人へ向けてボートレース場毎に許されているチルト角度の限界で初日1走目からレースに挑むことを開会式で宣言することが恒例となっています。
常識を覆す
人気選手、そして記念戦線の常連へと成長をした菅章哉ですが、その一方で2024年までに優勝したレースは全て一般戦やG3と賞金の低いレースばかりでした。
「記念で戦うには今のレーススタイルは限界がある」と周囲やファンからの声もある中で菅章哉はただガムシャラに「チルト3度で記念レースを勝つ」という大目標へ向けて日々挑戦を続けました。
2025年4月にボートレース津で行われたG1ツッキー王座決定戦にて節間の好活躍で優勝戦1号艇を獲得。ここではしっかりコースを主張し逃げ切りを決めて嬉しいG1初制覇を達成。
通常は他地区の選手というのは地元の選手が残っていないと最終日のレースを終え順々に帰郷をする中で、菅章哉の優勝を見届けるべく支部、先輩後輩を問わず多くの選手達が居残っていたことからレース直後に救助艇に選手達が乗船してファンの前での水神祭が急遽決行されました(通常は表彰式後にピットで実施)
そして迎えた10月ボートレース多摩川で行われたウェイキーカップでは2号艇ながらチルト角度を3度に跳ね上げ大外に出ると6コースからの強烈な一撃を決め目標の達成、常識を覆すことに成功しました。

レース後のインタビューでは師匠の近藤稔也、そして歴代の多摩川周年レースの覇者であり自身と同じくダッシュからの強烈な一撃でかつてファンを沸かせた三井所尊春に対しての感謝の言葉を述べました。
菅章哉
エピソード
師弟関係
師匠

菅章哉の師匠は同じ徳島支部の近藤稔也。
上述の通りデビュー当時からの破天荒なレース続きで先輩レーサー達から相手にされなくてもおかしくなかった菅章哉を気にかけていた数少ない先輩であり「レースでも私生活でも後ろ指をさされるようなことはするな」という条件にて師弟関係を結んでいます。
菅章哉に伸び型のゲージを渡し現在のレーススタイル、そして人生の道筋を与えてくれた師匠へ度々感謝の言葉を述べています。
そして師匠の近藤稔也も弟子のため2025年にチルト3度が解禁されたボートレース大村に斡旋された際には、自分の結果を二の次にしてチルト3度でのレースと調整を行うことでその時の感想や水面の見方を菅章哉に助言しています。

近藤稔也としては初日からチルト3度に跳ねて節間を戦うつもりでレース場へ向かうも、引き当てたモーターは直前にイン屋の深川真二(佐賀支部)が使用した物でした。
これによって調整が上手くできず節間後半までチルトを跳ねることが出来ませんでした。
弟子

菅章哉の弟子は同じ徳島支部の西岡成美。
レーススタイルこそ全く異なりますが、レースに挑むにあたっての考え方やメンタル面を勉強するべく弟子入りを果たすとその後A1級へも昇格する急成長を果たしました。


西岡成美の夫である眞鳥章太(長崎支部)が妻を経由して貰った菅章哉の伸び型のゲージをその師匠である重富伸也(長崎支部)に渡したことをきっかけにチルトを跳ねた伸び型の選手になるという支部を超えた波及効果が生まれました。
縁日事件

2024年の地元のお盆開催終了後に選手達が様々な物を持ち寄っての縁日が行われるというドッキリを井上遥妃(徳島支部)に仕掛けます。
※井上遥妃は西岡成美の弟子のため両者はプロペラグループの先輩、後輩の関係でもあります
レースが行われる1カ月以上前から壮大なプランで仕掛けたこのドッキリを一切疑わず信じ続けた井上遥妃は節間直前に支部の先輩である岩崎芳美(徳島支部)に相談を持ち掛けたことで事態がややこしくなり引き返せなくなったためこの事を知る複数の選手がスーパーボールやくじ引きをボートレース場へ持っていくことになります。
しかし節間後半になってもいつまでも準備が進まないことに違和感を感じた井上遥妃は菅章哉に相談すると「実行委員長の近藤稔也に聞いて」とまたしても無関係な人間を巻き込んだ結果、最終的に近藤稔也と井上遥妃が菅章哉の部屋を訪ねネタバラシをすると井上遥妃が号泣するという最悪の結末を迎えました。

この件について井上遥妃は「面白すぎたのとよくわからない感情で泣いてしまった」と弁明。
なおバレないためとはいえ縁日用のグッズは数多く用意していたため、節間終了後に本当に縁日は実施されその費用は全て菅章哉が支払いました。
家族

子供が3人いる愛妻家。自身のinstagramの紹介文にも「ボートが好き。でも妻のほうがもーーっと好きっ」と記載しています。
妻とは結婚後も交換ノートを行っており、節間中に様々な思いを綴っています。

「フライング休みに入ると子供が増えます」という反応に困る鉄板ネタがあります。
菅章哉
まとめ

徳島支部の菅章哉は、強烈な伸びを生むチルト3度という独自のスタイルでファンを魅了してきた選手です。しかしその道のりは順風満帆ではなく、養成所時代の劣等生扱い、デビュー節での不名誉な事故点、度重なるフライングによる長期離脱、そして怪我や迷走といった厳しい現実をいくつも乗り越えてきました。
チルト3度で記念レースを勝ち切るという自身の目標を達成し、それまでの常識を大きく覆しました。仲間に愛され、後輩にも慕われる姿からは、人間性の深さと地道な努力がうかがえます。そして何より、家族を大切にしながらボートレースに真正面から向き合う姿勢こそが、菅章哉というレーサーの魅力をさらに強くしています。
度重なる試練を乗り越え、「チルト3度で限界のその先を見出す」という道を切り開いた菅章哉。これからもそのスタイルでファンを沸かせてくれることでしょう。
競艇予想サイト
的中情報
- 競艇無料予想サイトが公開している無料予想も網羅。
- 各画像をタップで実際の検証レポートを公開。
- 気になるサイトから登録で即日利用可能!
管理人からのお願い
LINE登録
ブログランキング











-150x150.jpg)













