
2025年3月1日に生涯現役としてこの世を去った高塚清一さんの功績を讃え2026年3月1日より開幕する「高塚清一記念 第8回名人集合マクール杯」
この6日間に限り個人向け冠レースを無料で実施されることが2026年1月1日にボートレース浜名湖より発表しました。
今回は冠レースの詳細、そしてまもなく1周忌を迎える静岡支部のレジェンドの功績を振り返っていきます。
高塚清一記念 詳細
節間内容
開催日:3/1(日)~3/6(金)
開催地:ボートレース浜名湖
グレード:一般戦
優勝賞金:200万円
選出方法
45歳以上の選手に限り出場が許されるボートレース浜名湖の恒例の節間。以前はB級選手限定でしたが、現在は等級の制限が無くなっています。
原則として初日のドリーム戦はファンからの投票によって上位6名がそのまま枠番として振り分けられ、生前の高塚清一さんはドリーム戦1号艇で何度も選出される人気選手でした。
注目選手
徳増秀樹(3744)

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 静岡 | 75 |
地元静岡からはSGウィナーの徳増秀樹がまさかの参戦。
高塚清一さんが亡くなる1カ月前にボートレース平和島で同じ節間になった際にレース後に悔しがる高塚清一さんを見て何歳になっても走れる秘訣、長生きできる秘訣を学んだ直後の出来事だっただけにショックは大きかったことでしょう。
静岡支部長としてこの大会を盛り上げるには当然ながらスター選手の活躍が必須。1号艇での選手が濃厚のドリーム戦は高塚清一さんの命日でもありその座を引き継ぎまずは結果で恩返しといきたい。
佐々木康幸(3909)

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 静岡 | 81 |
こちらも静岡支部を長きに渡りA1級レーサーとして牽引する佐々木康幸。近年は一般戦回りとなっていますが2011年にはオーシャンカップにてSGを制覇した実力者です。
2024年に地元浜名湖で50歳での優勝を達成した際には「高塚さんと比べたらまだまだ赤ちゃんでしょ」と衰えていく自分を受け入れながらも長く選手として活躍するためにはどうすれば良いか?を考えた時に高塚清一さんのように出来ることを丁寧に行うことを心掛けるようになりました。
こちらも順調にいけばドリーム戦への選出の可能性が高く初日から天国で見守る大先輩へ向けて恥ずかしいレースは出来ません。
節間イベントについて
ボートレース浜名湖では『高塚清一選手一周忌~浜名湖のアイアンマン永遠に~』と題し現役時代の写真の展示、メッセージボートが設置。
また一周忌となる3月1日は関係者を招いての偲ぶ会の実施。現役、元選手達が登場し高塚清一さんとの思い出を振り返ります。
協賛レースについて

対象レース
初日1Rから最終日12Rまでの合計72レースが対象となります。
なおこの節間中に関しては協賛レースの特典である来賓席の利用、DVDやクオカードのプレゼントは行われません。
内容について
通常は家族、知人、関係者の結婚や誕生日を祝う事などを目的に行われる個人協賛レースですが、この節間中に関しては「高塚清一さんへのメッセージのみ」を対象としています。
選手時代のファンの皆様の思い出や思いを文章にして大会を盛り上げることを目的としています。

高塚清一さんが亡くなった後、ボートレース浜名湖には高塚清一さんに関する個人協賛レースの応募がありましたが、主催者側は期間を設けて行うことを約束しこれらの提案を全て断ってきました。
今回の個人協賛、そして選手名が付いたレースはまさにファン待望の企画でもあります。
注意点
通常の一般戦では一律1万円(優勝戦に限り3万円)が今回無料で行われるため、レース数より応募数が多い場合は抽選により選出されます。
この場合は主催者側での審査が行われ一部のメッセージが採用されます。

当選者には実施日、レース数の連絡が届き、不採用の場合は連絡が届きません
高塚清一さんの功績を振り返る

生涯現役、約60年に渡るボートレーサー人生を過ごした高塚清一さんの長きに渡る活躍を見ていきます。
プロフィール

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 静岡 | 20 |
1947年3月7日、第二次世界大戦から約1年半後に静岡県磐田市にて誕生。
父親は競輪選手として活躍も自身は高校中退後に訪れたボートレース浜名湖のレースにて「自分ならもっと上手くボートを扱える」と何かを決意しボートレーサーへの道を切り開きました。

1952年4月に日本で初めてボートレースは実施。ボートレース浜名湖はその翌年である1953年に誕生しています。
当時の規則は確立された現在と比べれば曖昧であり、高塚清一がデビューをする1965年は候補生の養成所すら存在していませんでした(本栖養成所はこの翌年の1966年に誕生)
2000番台の出世頭
1965年11月にデビューしこの節間にて初勝利を達成。2年後の1967年には20歳にして初優勝を達成しています。
この当時のボートレースは現在の等級とは異なりA・B・Cの3階級によって選手が振り分けられており高塚清一さんは21歳の時に最高等級であるA級に昇格し1970年に23歳にしてSG初出場を達成。
これ以降記録では通算8度のSG出場があった高塚清一さんですが、初SG出場時は登録番号2000番台の選手としては唯一の出場であり、2000番台の出世選手としても注目をされていました。
体重を活かしランナ戦で活躍
競輪選手の息子であった高塚清一は他のボートレーサーと比べても体重が重たいと選手としてはやや致命的な欠点がありました。
この当時のボートレーサーには減量の制限が存在せず体重を落としたら落とした分だけボートにスピードを付けることが出来る時代でしたが、高塚清一はこの体重を活かすべくランナ戦での活躍が主体となっていきました。
高塚清一はその後、ランナ戦の巧者として知られこの経験は晩年までボートレース江戸川などの荒れ水面での走りを大きく支えることになりました。
ランナボート(ランナバウト)とは?

この当時のボートレース界では試験段階で中止になった物を含め様々なボートが開発されており、ランナボートはレースでの使用が実現されました。
舟の底が浅くスピードが出て鋭角なターンを繰り出す一方で乗り扱いが非常に難しく、常にボートを縦に動かしながらでないとスピードが出ない、水面ギリギリに顔を寄せるくらいのターンが強いられました。
ランナ戦限定の節間や1日のレースの中に1R~2Rだけランナ戦が組まれるなどその使用方法は様々でしたが、業界内には「ランナ巧者」と呼ばれるプロ達が複数存在しました。
病気を乗り越え復活
1986年に1000勝、2007年に60歳にして2000勝を達成した高塚清一。しかしそのレーサー人生は決して安泰とは言えませんでした。
40歳の時に舌癌を発症し選手はもちろん死の危険性もあった中で復活を果たしたのは「ボートレースが誰よりも大好き」という気持ちの面が影響していました。

レース中の大怪我によって一時は失明状態にもなった笠原亮は約1年間の休養を経て復帰をする際に、高塚清一から電話にて自身の経験してきたことを振り返りながら「こんだけ頑張れてるから大丈夫だ」とアドバイスを送られたへの感謝を述べています。
未知への挑戦
2013年1月、65歳にして優勝を飾り当時の最年長記録を更新。その2年後には埼玉支部のレジェンドとして多くの功績を残してきた加藤峻二が引退を表明したことで現役最年長レーサー(当時68歳)となりました。
2020年にはその加藤峻二が記録していた最年長出走記録を73歳3か月にて更新し以降は自身が出走する、勝利をするたびにその記録は自ら更新していく未知への挑戦がスタート。
最終的に勝利記録は77歳10カ月、出走記録は誕生日を約10日前に控えた77歳11か月まで自らの活躍にて塗り替え続けていきました。

2015年には両者によるトークショーが実現。
高塚清一さんがトークショーに出演をしたのはこれが最初で最後の出来事でした。
峰竜太VS高塚清一
2022年この当時不祥事による出走停止によりB1級へ降格をしていた峰竜太がボートレース浜名湖で行われた「B級メモリアル」にまさかの参戦。この約1週間前にSGボートレースメモリアルが実施されその後夜祭のような意味合いで行われた大会ながら大きな注目を集めることとなりました。
ファン投票で選ばれる初日のドリーム戦では1号艇峰竜太、2号艇高塚清一という通常ではあり得ない並びが実現。両者共に優勝戦に進出しており最年長優出記録を更新しています。

なお優勝は後に2025年にヤングダービーを制覇する前田滉。
当時はまだ無名のB級レーサーであり6コースからのトップスタートによる大捲りを決めたことで3連単の配当は723倍の大波乱となりました。
低調機でも存在感を示す
2024年3月に行われた「薄暮だョ!第5回B級名人大集合 マクール杯」に出場をした高塚清一。
渡されたモーターは連対率30%弱も明らかに動きに不満が残るものであり1号艇で選出されたドリーム戦でも3着に敗れる不穏なスタートを切ります。
しかし着実に展開を捕える走りで何とか予選を突破し、迎えた準優勝戦で2着に入り76歳の誕生日を迎える3月7日に大勝負が行われます。
その道中は終盤まで3着争いを繰り広げるも、やはり最後の最後まで伸びを欠き続けたモーターの弱さに泣かされ4着と敗れてしまいましたが、決してそのようなモーターあっても諦めず最後まで前を追いかけ続ける姿はレースを見守った多くのファンに感動を与えました。
喜寿を勝利で飾る
翌年の「薄暮だョ!第6回B級名人大集合 マクール杯」にも再び出場した高塚清一。この節間は残念ながら序盤早々に予選突破が厳しくなる1節間となりました。
しかし最終日である3月7日、この日77歳の誕生日に加えてボートレース界では初となる喜寿レーサーのお祝いを兼ねて主催者側によるセレモニーを予定したところ、4コースから見事に展開を捕える走りで1着を飾りました。
レース後のエンジン釣りには静岡支部の後輩達による大号令でのおめでとうコールが鳴り響くとその後のセレモニーでは浜松の名産である鰻を授与され「これを食べて元気にまた走りたい」とコメントをしています。

この日の他場にて勝利を飾った長嶋万記は勝利者インタビューにて高塚清一さんの喜寿のお祝いを行うと、勝利したことを関係者から伝えられ「すごぃ・・・」と思わず笑ってしまいました。
突然の報告
2024年末に業界への長きに渡る功績を認められ特別賞を受賞。2025年1月にはこの年最初となる勝利を挙げこれからもその記録を更新し続けることが期待された2025年3月1日の朝に自宅にて亡くなったことが明らかとなりました(死因は非公開)
1週間後の3月8日は78歳の誕生日を控え直前の2月27日にはレースにも出走していただけにこの発表は選手、ファン、関係者に大きな衝撃とショックを与えました。
高塚清一さんを尊敬する選手として長らく名前を挙げていた日高逸子はこの一報にショックを受け、現役引退を決断する要因にもなりました。
ボートレースをこよなく愛する
最終日の最終レースまでプロペラを叩き続け、時には60歳近くも離れた選手とレースを繰り広げた高塚清一さん。しかし、そのレース1つ1つに妥協を許さずたとえどんな相手であっても人一倍悔しがる姿が日常でした。
高塚清一さんは現役を長く続ける秘訣を聞かれ、ボートレースが好きであることと当時に、「自分はタイトルとは無縁の選手だった。獲っていたらとっくに辞めている。これだけ長く現役を続けていることは恥ずかしい」と語ったことがあります。
1日でも長く現役を続ける事こそが自身の生きる道となりましたが、その走りは結果として多くのファンを魅了しボートレース界にとって唯一無二の存在としてその生涯、ボートレース人生は幕を閉じるのでした。
多くファンに愛された高塚清一さん。その魂は今後も静岡支部、そして多くのボートレーサーへと引き継がれてほしい・・・そんなことを亡くなってまもなく1年が経過するこのタイミングでもついつい考えてしまうほどの選手です。
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