
山口剛は広島支部に所属をするボートレーサーです。
20代にしてSGを制覇し支部の顔として長らく活躍する一方で不完全燃焼な30代を経験。40代を迎えた2025年に15年ぶりのSG制覇を成し遂げたベテランのこれまでのレーサー人生を見ていきましょう。
山口剛
これまで
選手情報

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 広島 | 91 |
ボートレーサーになるまで
広島県出身の山口剛は小学生の段階でボートレーサーになるということを夢に掲げていました。
学生時代は体操部に所属。「スポーツの実績があればボートレーサーの試験で有利になるから」、「他の選手がやりたがらないあえてあん馬を選んだ」と策士っぷりで最終的には広島県代表として国体にも出場。山口剛の目論見通りのスポーツの実績をこうして手に入れることが出来ました。
広島市立沼田高等学校を卒業後にボートレーサー養成所へ91期生として入所を果たします。

体操で得た柔軟性は年齢を重ねても身体の回復の早さや怪我をしにくいなどボートレーサーになった後も大きく影響を与えました。
この他にもオープニングセレモニーでバク転を披露したり、レース中に片足を上げるスコーピオンターンを行ったりと体幹の強さとバランス感覚を持つ。
養成所時代
養成所時代の同期リーグ戦では勝率5.80、準優進出5回、優勝戦進出2回と後の活躍を考えれば決して目立った選手ではありませんでした。
この頃の山口剛は『「すげー!」「何?今のターン」と観客から言われるような選手になりたかった』と後に振り返るように全力で握って勝負をするスタイルを信条に掲げ1年間の養成所生活を終え2002年11月のデビューを迎えるのでした。
スピード出世

デビューからわずか1か月後の2002年12月11日にボートレース徳山で初勝利を達成。デビュー戦からわずか17走でのスピード勝利を挙げるとその1年半後の2004年にはデビュー初優出にして初優勝を飾り広島支部期待の若手として脚光を浴びるようになります。
同年の活躍が認められた2005年にはB1級から飛び級をする形でA1級へ昇格をし同年G1デビュー。以降は記念と一般戦の壁にぶつかりA1級とA2級を数年間に渡り行ったり来たりする日々が続きましたが、2008年にG1新鋭王座(現ヤングダービー)でG1初優勝。
同年6月にはボートレース丸亀の周年記念である京極賞でも優勝を飾っており、年末には賞金王決定戦シリーズにてSG優出(結果は6着)と記念戦線で戦える選手であることを証明する1年間となりました。
20代のSG制覇へ
2010年3月ボートレース平和島で行われたボートレースクラシックにてSG初制覇。2002年からわずか8年目でのスピード記録であり、本栖訓練所から移転となったやまと訓練所の卒業生としては史上初のSGウィナーの誕生の瞬間でもありました。
またこのボートレースクラシックを最後にSG優勝戦のファンファーレが現在の物と変更されているため、山口剛は「やまと卒業生第1号SG優勝選手」かつ「旧ファンファーレ最後のSG優勝選手」という変わった肩書きを背負うことになります。
これ以降、西島義則、辻栄蔵、前本泰和らと広島支部のSG、G1戦線を長らく引っ張るもSGではなかなか優勝が出来ない日々が続きました。

この頃について山口剛は
「30代の半ばぐらいまでですかね。正直に言うと僕は少しあぐらをかいていたような気がするんです。あの頃は自分の実力だと思ってしまったんでしょうね。好きじゃない自分がそこにはいましたね」
と慢心があったことを明かしています。
2年連続の不運
2022年、この年SG優勝こそありませんでしたがオーシャンカップを除く全てのSGで予選を突破し優勝戦にも4度出場した山口剛は着実に賞金を積み重ねたことで賞金ランキング2位の活躍にて2010年以来となるグランプリ出場を果たします。
しかし迎えた1走目の1号艇にてまさかのフライング失格。この罰則により翌年は上半期に一般戦回りを強いられることになりましたが、翌年は一般戦で4回、G2で1回、G1で2回の合計7Vで盛り返し2年連続のグランプリ出場を成し遂げる大逆転を見せました。
しかし1走目で今度は転覆失格によりトライアル戦線から脱落。シリーズ戦へと回った3日目の1Rにてフライングで失格となると、4日目には欠場により途中帰郷とまたしても散々な年末となってしまいました。

この翌年の2024年はグランプリシリーズの出場。
ファン、そして本人の中にある過去2年の悪夢を振り払うように優勝戦に進出し惜しくも2着に敗れました。
15年振りのSG優勝
ボートレース福岡で行われた SG第28回チャレンジカップにて約15年8カ月ぶりとなるSG2勝目を挙げグランプリ出場圏外の25位から一気のランクアップで12月のSGグランプリ出場を決めました。
山口剛は「信じられない」「悔しい思いが報われた」と語り、3号艇の関浩哉の攻めを抑えながら大本命だった1号艇の池田浩二を差すというレースプラン通りに決まったことを振り返っています。
山口剛
エピソード
常に笑顔な理由
山口剛といえばレース後のインタビュー、トークショーでも笑顔を絶やさないことでお馴染みです。
かつてレースで負けた際に悔しがっていたら「勝った人以外、悔しいのはみんな一緒だ」と先輩レーサーから怒られた際に「感情を出す人は強くなれない。だから僕はニコニコしている」と感情を読み取られないように意識をして始めたことを明かしています。
一方でデビュー時から危険を顧みないレースをした際に先輩に呼び出されては説教をされたり、出る杭は打たれると言わんばかりの仕打ちも繰り返し受けて来ても、全てを反骨精神で跳ね返し続け今の自分があると自負。
支部の重鎮である西島義則は「お前(山口剛)はわしが怒っても逃げずに来てくれた」と山口剛の図太い性格を賞賛しています。
意識改革
学生時代からボートレーサーになるべく明確なビジョンを描いていた山口剛ですが、その意識の高さは年齢を重なることで更なる進化を遂げます。
「ずっとこの仕事を続けて行くつもりで50代、60代になっても更に上に行く準備」として様々な業界の人たちと交流を持ちつつ、先輩や後輩問わず意見交換を行い自分を高めることを重視。我流でやっていては限界があると気づいて以降は各部門のプロ達の考え方、レースの方法を真似しながら「色々な人の良いところを取り込んであえて自分の色が無い選手」を目指しています。
人間関係が希薄になりがちな後輩選手に対して「情報、知識を色々得ないといけない。話しかけられる子と話しかけらない子では大きく違う」、「レースが上手い子は多いが静かな子が多い。上手いだけではどこかで詰まる」とアドバイスを送っています。
師弟関係
弟子

山口剛の弟子は同じ広島支部の小林甘寧。134期の養成所チャンプであり、次世代の若手が伸び悩んでいる広島支部の未来を担うことが期待されている選手です。
師弟関係を結んでからは支部の練習にも山口剛は休みの日は欠かさず顔を出して小林甘寧を熱血指導。2025年8月12日に142走目にしてデビュー初勝利を達成した際には同節に山口剛も参戦しており師弟による水神祭が実施されました。
かつては豪快なレース、旋回を目標としていた山口剛ですが、昨今は考えの変化から基本旋回を重視。舟の向き、ハンドルの切り替え方など細かい部分を大切にするよう小林甘寧にも指導をしています。
山口剛
まとめ
若くしてSGを制覇するも勢いだけでは叩かない世界であるという壁を感じた山口剛。しかし、そこから腐ることや自身の成長を諦めることなく何歳になっても進化を続けようとする姿勢こそが15年振りのSG制覇という偉業へと繋がっていきました。
そしてその源にあるのが「ボートレースが大好き」という部分であり、好きなものだからこそより上手くなろう、足りない物を埋めていこうという気持ちへ繋がっていきます。
「好きを仕事に」・・・幼少期に描いた山口剛のボートレース人生はまだまだ続きます。
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