
埼玉支部に所属するボートレーサー野田昇吾は、かつてプロ野球の舞台で活躍した異色の経歴の持ち主です。
なぜ野球界からボートレースの世界へ?
その挑戦の裏にはある名選手の言葉がありました。
野田昇吾の経歴
プロ野球選手からボートレーサーへ
選手情報

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 埼玉 | 131 |
プロ野球時代の活躍
幼少期~学生時代
野田昇吾は福岡県糸島市の出身。
5歳にして地元の野球チームに入団し中学には早くも硬式野球部に所属。
その後鹿児島県の名門である鹿児島実業高等学校へ進学し2年の夏に夏の甲子園で登板。
3年生卒業後の最後の1年間はエースとして明治神宮大会、春の甲子園で活躍も最後の夏の大会は県大会準決勝にてチームは敗れています。

野球で有利になることを目的として父親が3歳の時に右利きだった野田昇吾を強制的に左利きにしました。
社会人時代
高校卒業後はプロ野球、大学ではなく社会人の道を選択し全国大会の常連である西濃運輸(愛知)の野球部に所属。
先発、リリーフ問わず4年間に渡り活躍。都市対抗、日本選手権と社会人の頂点を決める舞台でも登板機会がありました。
それらの活躍が認められ2015年に埼玉西武ライオンズよりドラフト3巡目にして指名を受けプロ野球の舞台へと活躍の舞台が移ります。

同期入団には2018年のパリーグ最多勝を獲得した多和田真三郎(1巡目)などがいます。
プロ野球時代

ルーキーイヤーの2016年から22試合に登板。翌年にはプロ初勝利をマーク。
この年のオフに「ENEOS アジア プロ野球チャンピオンシップ2017」にて日本代表に選出され2試合に登板し優勝に貢献しています。
そして翌年には58試合に登板しチームのリリーフエースとして活躍も左肩の蓄積疲労から球速、コントロールが悪化し登板機会が減少。
2020年年間を通じて2軍生活が続くと球団から戦力外通告が宣告され再起をかけるべく12球団合同トライアウトに参加しました。
運命を変える出来事

トライアウトにて現役続行へ向けてアピールを行うも獲得する球団は現れず現役引退を決断。
しかしこのトライアウトにて運命的な出来事が野田昇吾の運命を大きく変えることになります。
この年のトライアウトは当時プロ野球復帰を目論んでいた新庄剛志がトライアウトに参加したことで大きな話題を呼んでいました。
新庄剛志は同じ福岡県出身の野田昇吾に対して「本当に好きなことをやって人生を生きろ」という言葉をかけました。
兄がボートレーサー試験を受けていた過去があった、ボートレースが好きでかっこいいという憧れを後押しするように野田昇吾の次なる挑戦が始まります。

新庄剛志は後に日本ハムファイターズの監督に就任。
野田昇吾のデビュー日には
「プロ野球界代表として圧倒的な走りを見せつけろ!!」
とメッセージを添えた激励の花を贈呈しました。
野球選手としての活躍
養成所時代

2021年7月に推薦枠を利用し養成所に一発で合格。131期生として養成所へ入所をしています。
この間はスーパーマーケットでアルバイトをする傍ら、プロ野球時代は75kg近くあった体重を50㎏台まで落とす大幅が減量という過酷な日々が続きました。
入所時の身長が175㎝以下の選手しか認められないボートレース界へ身長が高い選手が多いプロ野球選手が転向することは異例。養成所合格時からプロ野球ファンの間でも大きな話題を呼びました。
養成所ではなかなか思う様にいかない日々が続き時には使用したボートが係留出来ず流され泳いで取ってこいと一回り以上離れた同期達と変わらぬ扱いを1年間に渡って経験。
辞めたいと思った際には自身がボートレーサーを断念したことが報じされるニュースを想像し乗り切り続けました。
デビュー戦
2022年11月3日、ボートレース戸田で6号艇としてデビュー。
レース当日には埼玉西武ライオンズ時代の指揮官である辻発彦や多くのプロ野球ファンも訪れ新人レーサーの第一戦は多くの人の注目を集めました。
レースは1周目2マークで展開を捕え2着争いに浮上も2マークで他艇の攻めを受け後退。最終的には4着でデビュー戦を終えました。
初勝利
2023年7月デビュー地のボートレース戸田で5コースからの捲りを決め待望の初勝利を達成。
101走目での勝利を挙げるとレース後にはファンの前での水神祭が実施されました。
西武ライオンズ時代の同僚や関係者達もこの勝利を大きく喜び、デビュー戦を現地で見届けた辻初彦は自身のSNSにて「野田昇吾、初勝利おめでとう。素晴らしいレースだったね……。最高に嬉しいのだ~」とレース直後に投稿をしています。
実際のXの投稿内容
厳しい立場と与えられた役割

元プロ野球選手という知名度はボートレース界では異例の存在。
レース結果だけでなく、競技そのものを広く知ってもらう役割も背負う存在といえる。
そして現在、野田昇吾はボートレーサーとして重要な分岐点に立っている。
デビューから3年が経過し、2年間(4期)の通算勝率が3.80を下回れば強制的な現役引退となるフェーズに突入。
その中で野田昇吾の勝率は2点台~3点台中盤と厳しい立場での戦いが続いています。
フライング事故が続き斡旋が減った時には建設現場のアルバイトに入ったりと高収入を謳う職業ながらその現実は厳しいものとなっています。
ボートレースの世界は甘くない。その中で生き残りこの挑戦が正解であったかを示す戦いはまだまだ続きます。
野田昇吾 エピソード
師弟関係
師匠

野田昇吾の師匠は同じ埼玉支部の須藤博倫。
埼玉支部の兄貴分ながらおちゃめな一面が多く西山貴浩が主宰するポンコツ会にも所属をしています。
プロ野球選手時代からの付き合いがあり埼玉支部を紹介したのも須藤博倫でした。
第二の地元
出身地である福岡県(福岡支部)を選ばなかった理由として野田昇吾はSNSで以下のように説明をしています。
今でも埼玉西武ライオンズが大好きで、野球を辞め、コロナ禍で一度もファンの方々に感謝の気持ちを直接お伝えできてません。
僕のこれからの人生のテーマは『恩返し』です。ファンの方々の存在があるからこその今の僕があります」
埼玉西武ライオンズと同じ埼玉県に本拠地を置くボートレース戸田を舞台に活躍することを第一に考え所属先を決めました。
家族
2020年に声優の佳村はるかとの結婚を発表。その年のオフにプロ野球選手を引退をしており当初は家族には黙ってボートレーサーを目指していました。
引退後に突然減量を始めたことを不審に感じた佳村はるかから問いただされ真相を伝えると危険を伴う職業に対して猛反対をされました。
最終的にはその夢を応援することを決意し仕事、生活、食事の面まで徹底サポート。
2021年に第一子も誕生。直後に養成所に入所をしたため久しぶりに再会した子供に誰かわかってもらえず号泣されショックを受けました。
野田昇吾まとめ
厳しい挑戦は続く
野田昇吾の歩みは、プロスポーツの世界の厳しさと新たな挑戦の難しさを強く感じさせるものです。埼玉西武ライオンズで日本代表にまで選ばれた実績を持ちながら戦力外通告を受け、その後まったく別の競技であるボートレースの世界に飛び込む決断は簡単にできるものではありません。
現在は成績面で厳しい状況にも直面していますが、元プロ野球選手という注目を背負いながら新たな競技で挑戦を続ける姿は、多くの人に勇気を与える存在ともいえるでしょう。
今後どのようにキャリアを築いていくのか、その歩みに引き続き注目が集まります。
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