
数々のSG優勝はもちろん、多くの伝説やエピソードを持つスター選手。
その栄光の裏では地獄のような経験や不祥事もあります。
峰竜太の経歴
選手情報

| 支部 | 期 |
|---|---|
| 佐賀 | 95 |
誕生・名前の由来
峰竜太は佐賀県県唐津市の出身。
竜太という名前は祖父母が考えたもので、「龍太」では堅い印象があるという理由で「竜太」になりました。
なお両親は「元気」という名前を付ける予定でしたが、大人になってからどうなのかという理由で却下されています。

同性同名のタレントである峰竜太は一切関係がないどころか、名付けた際は誰も知りませんでした。
峰竜太の小学校の入学式にて隣に座った別の子供の親から「峰竜太って名前の子がいるよ!」と自身の息子の名前を指摘された際に存在を知りました。
学生時代
好奇心旺盛な少年時代を過ごした峰竜太。
マムシに噛まれて骨が溶けてしまったり、軽トラに轢かれたらどうなるのか気になって足を出し骨折したりと、そのエピソードは数えきれません。
唐津市立鬼塚中学校に進学すると、同級生の松尾君の父親がボートレーサーであることを知り、ボートレース唐津に通う中で将来の夢として意識するようになります。
なお松尾君の父親は、後に峰竜太と師弟関係を結ぶ松尾孝明でした。
ボート部がある佐賀県立唐津西高等学校へその後進学。
インターハイや国体にも出場し、2年生にして九州チャンピオンに輝き、世界選手権にも出場しています。
高校卒業時には、部活での優秀な成績に加えて勉学にも励んでいた峰竜太に対し、早稲田大学などから特待推薦が相次ぎました。
しかし峰竜太はそれらをすべて断り、校長先生に「日本一の競艇選手になります」と決意を述べ、その後養成所試験に合格し入所しています。

峰竜太の実家にはこの当時に書いた「されど 我道 悔いはなし 目指すは競艇選手日本一」という紙が今で残されています。
養成所時代
1年間の養成所生活は本人曰くそこまで苦にならなかったと語っており礼儀や規則の部分を学びつつボート部時代の経験を活かし台頭。
成績優秀者による養成所チャンプ決定戦にも出場を果たしています(チャンプは岡村仁が獲得)。
養成所卒業時の1人1人の決意表明では「親から貰ったこの名前と豪快なレースで佐賀の星になります!」と宣言をしいよいよプロの舞台へと進んで行きます。

転覆が多いということはそれだけ豪快に握って攻める意識が強かったこと、そして転覆を恐れない精神面の強さがあったことの裏付けともなっています。
同じように転覆女王の愛称を付けられた選手として清水愛海などがいます。
衝撃連発のデビュー当時
峰竜太は2004年11月10日にボートレース唐津でデビュー。その初戦にして6枠6コースからいきなり2着に入り波乱を演じました。
その1か月後の12月30日にデビュー3節目にしてボートレース福岡で初勝利を達成。
その翌年の4月にはボートレース下関で当時B2級にして3枠で優出、11月には地元のボートレース唐津で初優勝を達成。
1枠ながら5コースまで追いやられる先輩レーサー達からの圧をかけられるも、0.07秒のトップスタートで豪快な捲りを決めています。
2007年に若き実力者として投票を集めボートレースオールスターでSG初出場を達成しています。
ニュージェネレーション(ニュージェネ)

2009年に九州地区選手権でG1初制覇を達成。この年は新鋭戦(現 ルーキーシリーズ)を含め7度の優勝を飾る活躍を見せました。
この頃のボートレース界は峰竜太、桐生順平、毒島誠、新田雄史、岡崎恭裕など20代の選手達がSG、G1の舞台で次々に活躍。
選手間の仲も良く当時誕生したばかりのLINEでグループを作り情報交換も盛んに行われていました。
この際に「新時代」の意味を込めてニュージェネレーション(ニュージェネ)という名称が設定され、選手間でもグッズが製作されました。
軍団メンバーは新田雄史が製作した「ニュージェネレーションスーパースターズ」とデザインされたTシャツを着用。これがファンや関係者の間で注目されるようになりました。
運営側もこのチャンスをフイにすることなくニュージェネレーションの選手達を推すようなグッズやイベントを盛んに行うことでファン獲得に励みつつ、選手達もそれぞれ結果を残し続けました。

ニュージェネレーションは平成の最後に時代の切り替わりを理由に解散したことが明かされています。
最初で最後のヤングダービーでまさかの・・・
ニュージェネレーション世代が20代後半から30代を迎えようとしていた2014年に若手レーサーの登竜門であった新鋭王座決定戦からヤングダービーに名称が変更。
峰竜太曰く「ヤングダービーは自分たちのために作られた大会」と語るこのレースは当時の業界を牽引していた若手レーサー達により注目を集めることが目的されていました。
ニュージェネレーションの中心であった峰竜太が予選、準優勝戦と順当に勝ち上がり1号艇の座を獲得し優勝が期待されたこのレースですがまさかのフライングにより失格。
優勝の座は地元開催で4号艇に入った桐生順平へと渡ることになりました。
当時29歳の峰竜太にとってはヤングダービーの出場はこれが最初で最後であったこと、売り上げの97%が返還となったことでレース後には顔面蒼白となりしばらく動くことが出来ませんでした。
伝説の蒲郡決戦
ニュージェネレーションの選手達がSGを次々に制覇していく中でその中心にいた峰竜太はなかなかタイトルを獲得出来ない日々が続きました。
その中で2015年にボートレース蒲郡で行われたボートレースメモリアルにて優勝戦1号艇の座を獲得し待望のチャンスが到来。
好スタートを決め逃げ切りを決めようとしたところへ2コースの篠崎元志が内から差して抜け出すも2マークでは再び峰竜太が抜き返しに成功。
しかし次のターンで再び篠崎元志が内から差し返すと、2周目2マークで外々を回ったところで勝負が決しました。
両者共にSG初制覇が掛かったこのレースの命運は篠崎元志に軍配が上がるも、蒲郡伝説の夜、蒲郡決戦と呼ばれるこの名勝負は今なおファンの間でも語り継がれています。

レース後、峰竜太はピットでヘルメットをしばらく脱ぐことなく号泣。
表彰式に参加する直前まで建物の裏で悔し涙を流し続け、またしても優勝できなかったことへの自責の念に押しつぶされる1日となりました。
涙のSG制覇
2011年のボートレースオールスターでの初優出に始まり11度目の優出となった2017年のオーシャンカップにてSG初制覇を達成。
長きにわたる呪縛から解放されたこの優勝戦でも1マークでは一瞬内が空いたことでヒヤッとさせる場面がありましたが直線で一気に突き離すと後は先頭をガッチリキープ。
SG制覇に最も近い選手と言われ続けた自分と遂に決別。レース後には小さくガッツポーズをしながらゴールインを決めました。
これまで何度も悔し涙を流し続けた峰竜太でしたが、今回はピットで嬉しさと重圧から解放された嬉し涙の号泣。
各地の選手達から握手やおめでとうの声が挙がりました。

レース後に峰竜太は記者に対して「ボートレースはギャンブルスポーツなので、現実的には一人に声援が集中することはありえない。しかし、今日の優勝戦に限っては、舟券の当たりハズレを抜きにして、峰を応援したファンが相当に多かったのではないだろうか。」と語っています。
自身に対して期待しているファンの声を理解しながら応えられなかったことへの重圧を誰よりも感じていたことがわかります。
グランプリ優勝
2017年に4度目のグランプリにて初の優勝戦に進出(結果は3着)した峰竜太。
翌年はグランプリ出場までSGでは優勝こそありませんでしたが全てのレースで予選を通過し2度の優出、2つのG1を制覇し再びグランプリの舞台へと駒を進めます。
順調に得点を積み重ね、得点率トップで1号艇を獲得した優勝戦では、スタート80m付近に6艇中5艇が入る超深イン戦となりました。
あまりの位置からのスタートに5号艇の毒島誠は急遽付け直して単騎カマシを選択する中でスタートすると4コースの菊地孝平がトップスタートから一気に内へと接近。
しかしここでスローの2艇が壁となったことで何とか外マイで振り切った峰竜太はそのまま先頭に出ると後続を一切寄せ付けることなく初のグランプリ制覇を達成しました。
その2年後となる2020年には2度目のグランプリ制覇を達成。11Rに行われたシリーズ戦では深川真二が優勝をしており同日のSGで佐賀支部の両者が共に優勝を飾る1日となりました。

この優勝戦直前に行われた公開インタビューにて2号艇の井口佳典は「沈めるならこれが一番」、「出足はいらない。沈めれば俺の勝ち」と宣言。
しかし行き足を捨てた中で6号艇の菊地孝平が前付け。抵抗せざる追えないため80m付近まで追いやられ不完全燃焼に終わるという一幕がありました。
重圧を乗り越えたオールスター
ボートレース界のトップに君臨する峰竜太。選手の人気のバロメーターを測るボートレースオールスターの投票数1位の座を不動のものとしていました。
一方で投票1位で選ばれながら優勝が出来ない事への責任を誰よりも感じており、特に優勝をしたいレースの1つとして掲げていました。
そして迎えた2021年。この年も投票数1位にて選出されると優勝戦で1号艇を獲得。枠なりから好スタートを決め逃げ切りに成功すると先頭をキープしました。
道中にて既に涙が止まらなかったとレース後に振り返るほどのプレッシャーがかかっており、レース後には「引退をしても良い」と発言。
元々長くはやりたくない、40歳までには引退をしたいと語っていたことから当時36歳の峰竜太の引退が間近なのではないか?と囁かれるようになりました。
41億円事件

2021年賞金ランキング1位にて連覇を賭けてグランプリに出場。
予選もトップで通過し絶好枠を獲得した峰竜太にボートレースファンはもちろん、普段はあまりボートレースを購入しない人からも注目を集める優勝戦となりました。
しかしこの優勝戦にて3号艇の瓜生正義のツケマイ捲りが決まった次の瞬間に峰竜太がターンマークに激突し転覆。
するとこのあおりを受け抜け出した瓜生正義とその間を何とか抜け出した白井英治以外の残りの艇が全艇失格となる非常事態が発生しました。
これにより単勝、複勝、2連複、2連単以外の全ての舟券が不成立となり、総売り上げ42億7752万6800円の41億1426万3700円が返還の対象となりました。
レース後、峰竜太はこれまで誰もが見たことが無い程に憔悴。その責任を負う形で引退を決断することも考えましたが、何とか気持ちを奮い立たせ続行を決断。
しかしこの事故によって多くのヘイトを集めることになった峰竜太に翌年更なる事態が起こるのでした。
不祥事・B1級降格
2022年2月末に自身が主催のゲームイベントにて予想屋との接触と協賛金を受け取っていたとして褒賞懲罰審議会にて4ヶ月間の出場停止処分が下されました。
これにより約1年半のSG不参加に加えて出走回数不足によりB1級へ降格をしています。
復帰後は一般戦回りを余儀なくされますが、復帰節にていきなり優勝を飾るなど活躍。
全国各地の一般戦の売り上げには貢献する半年間となりました。
帰って来たSGの舞台でダブルメモリアル
2023年1月よりA1級へ復帰。しかし等級は変わってもSGへ復帰となるのはこの年の秋となるため一般戦回りから今度は記念を転々とする日々が続きます。
4月にボートレース津で高田ひかるとの激戦を制しG1m7月にはSGの裏開催になるため出場自体がこれまで珍しかったボートレース浜名湖のG2モーターボート大賞をそれぞれ優勝しました。
2023年10月にボートレースダービーでSG復帰。選考期間中の勝率にて決定するドリーム戦で1号艇を1着でまずは復帰戦を飾ります。
そして迎えた優勝戦は1号艇。大歓声に包まれた蒲郡の水面で見事な逃げ切りを決めSG復帰節で2021年のボートレースオールスター以来となるSG制覇を成し遂げました。
なおこのSG優勝は通算100度目の優勝、そして24場完全制覇を同時に達成というダブルメモリアルであり、峰竜太の完全復活を象徴する節間となりました。
師匠として見守った弟子のSG制覇
後述で詳しく説明しますが、峰竜太軍団(グループ)と言われるほど数々の弟子を抱えている峰竜太。
そしていつしか自身が育てた弟子のSG制覇、そして自分が強い間に超える存在を待ちわびるようになりました。
そしてその夢は2024年のボートレースオールスターにて成し遂げられます。
これが3度目のSGであった定松勇樹は予選をトップで通過すると準優勝戦を勝利し1枠を獲得。
師匠である峰竜太も緊張した面持ちでピット横からレースを眺める中で逃げ切りSG初優出初制覇を達成。
これまで幾度となく先頭を走りながら道中で抜かれSG制覇を逃した経験から1周目1マークで逃げ切ってからも立ち上がることなくレースを見守り続けた師匠。
しかし3周目2マークで安心したのか立ち上がり感情をあらわにしました。
レース後には2人して号泣し抱き合い師弟の熱い絆を見せる場面もありました。
峰竜太はこの年SG制覇こそありませんでしたが、賞金をコンスタントに積み上げグランプリに出場。
自身の予選敗退以上に得点率7位で優勝戦進出を逃した弟子の定松勇樹を思い号泣。
しかし気持ちを切り替えた最終日の選抜戦では1号艇の定松勇樹と4号艇の峰竜太によるワンツー決着でこの節間は幕を閉じます。
そして40歳を迎えるまでには引退をしたいとかつては何度も語っていた峰竜太は現役を諦められない気持ちとグランプリの借りはグランプリで返すと宣言をするのでした。
峰竜太 エピソード
師弟関係
師匠

峰竜太の師匠は同じ佐賀支部の松尾孝明。
前述のとおり中学時代の同級生の父親であり峰竜太がボートレースに興味を持つきっかけになった選手です。
「ボートレースの道へ進むきっかけをくれた人に教えを乞いたい」という理由で弟子入りを志願しています。
上下関係が厳しく弟子というよりも付き人のような関係性だった当時の佐賀支部において伸び伸びとやりつつそれを見守る関係性でした。
弟子
そして20代にして弟子を採用し始めた峰竜太。
通常1人から2人、どれだけ多くても5人くらいの後輩選手と師弟関係を結びますが峰竜太の元には以下の選手達が弟子入りをしています。

1人目が上野真之介。
派手さや豪快な旋回をする選手が多いこのグループにおいては珍しい器用さや立ち回りを得意としています。
後に末永和也を弟子に持つようになりますが、これはデビュー節後に峰竜太からの推薦(指示)によって決定。
本人は当初、育てきれなかったことを嫌がり師弟関係を組みたくなかったという事を明かしています。

2人目が山田康二。
峰の弟子の中では最も早くG1を制覇しており同じ節間に出場していた峰竜太と優勝戦後にピットで泣きながら抱き合っています。

3人目が高田明。
高校時代に峰竜太のレースに衝撃を受けボートレーサーを志した選手です。
佐賀支部の厳しい上下関係に耐えられず突然音信不通となり弟子総出で捜索をしたという衝撃の過去があります。

4人目が安河内将。
111期生の養成所チャンプとして峰竜太グループの仲間入りを果たしました。
高校時代には佐賀県立小城高等学校の野球部に所属し遊撃手として選抜甲子園大会にも出場を果たしています。

5人目が安河内健。
安河内将の弟でありデビュー2節目にて初勝利を挙げるなど早くから注目を集めていました。
過去にはF3の大失態を犯し長期間の出場停止とB2級落ちを経験するもその間に練習に励みターンを磨き続けたこともあります。

6人目が定松勇樹。
福岡県出身ながら父親が峰竜太のファンであることをきっかけにボートレーサーを目指し佐賀支部所属を希望した選手です。
安河内健を最後にもう弟子は獲らないと宣言をした峰竜太の心を動かすほどの逸材であると同時に「自身を超える後継者」としてこれまでの弟子達とは違い時には厳しく指導。
デビュー当時はフライングの多かった定松勇樹に対しレースに出走し経験値を得る重要な期間に休んでばかりの弟子の不甲斐なさに激怒したこともあります。
ボートレーサーになる直前に病気で父親を亡くしている定松勇樹にとって父親代わりでもある両者はこれまでの弟子達とは色々な部分で異なる関係性となっています。

7人目が野田なづき。
本人曰く正式な師弟関係は結んでおらず面倒を見て貰っている、お世話になっているという関係性であることが明かされています。
元々は三井所尊春と師弟関係を結んでいましたが、引退に伴いフリーの状態となり、骨折とメンタル面の不振もあり成績が低迷。
部活の延長のような感覚でこの世界に入ったことを後悔し20代前半にして引退を考えた時期に峰竜太と出会い考え方が一変。
自分を信じてほしいという言葉に後押しされ成績が一気に上昇し女子レーサーが少ない佐賀支部において貴重な存在となっています。
泣き虫ハッチ

とにかく涙もろく事あるごとに涙を流す場面が切り抜かれることで有名な峰竜太。
馬場貴也が2018年にチャレンジカップでSGを初制覇した際にはピットへ戻るとこのレースで2号艇で共に走っていた峰竜太が号泣しながら抱き付いて来たことで一気に冷めてしまい爆笑する場面もありました。
そんな峰竜太には「泣き虫王子」や「泣き虫ハッチ」という愛称が付けられています。
泣き虫ハッチの由来は大阪支部の元ボートレーサー蒲田義が峰(みね)の字が鉢(はち)に似ていることからハチ、はっちゃんと呼び始め松井繁ら大阪勢の中で浸透。
本人も気に入っているというこのあだ名は泣き虫王子と融合し「泣き虫ハッチ」に進化しました。

はっちゃん、ハッチと呼ぶ選手について聞かれた峰竜太は松井繁、吉川元浩、濱野谷憲吾、石野貴之、上條暢嵩の5名を挙げています。
アロハ

ボートレース界きってのサーフィン好きであり休みを利用し家族や選手達とハワイ旅行に行っています。
親指と小指を立て、他の3本を握るハワイの挨拶や感謝を示すアロハポーズは勝利者インタビューやオープニングセレモニーのお決まりとなっています。
2023年、福岡空港にてハワイ旅行へ向かった際に3年振りに再開となった直行便に乗車する一般人としてインタビューを受けニュース番組に登場したことが話題となりました。
4カドの峰
バラエティー番組「相席食堂」にてMCの千鳥の大悟がボートレースを楽しむゲストの映像にて「4カドの峰は峰なんよ!」と発したこの言葉が大ヒット。
番組、そして峰竜太を象徴する一言となりボートレースを知らない人にも峰竜太の存在が知られるきっかけとなりました。
この発言を機に峰竜太がゲストで出演し唐津市内を巡るロケが行われたり、峰竜太の出走レースで舟券勝負をする「峰竜太全ベットプロジェクト」が実施されました。

峰竜太全ベットプロジェクトは2022年の第3回まですべて成功し143万円まで資金が増加。
しかし翌年に峰竜太が出場停止処分となったこともあってか、企画が頓挫。
以降放送されないまま今日に至っています。
アパレル・事業展開
群馬支部の金子拓也と共にアパレルブランド「ONE」を立ち上げており、ファンや選手も着用と大人気となっています。
またこれ以外にも飲食店やYouTuberなど様々なことに挑戦。SNSの更新もマメでファンからの質問にも積極的に回答し交流を積極的に行っています。

これらの功績が認められ2026年より唐津市の観光大使にも任命されています。
嫌いなボートレース場
過去に全場を制している峰竜太ですが、苦手(嫌い)なボートレース場として戸田と江戸川の2つを挙げており、前者は狭い、後者は江戸川はうねりや風によって自分のターンが出来ないことが関係しています。
ただしSGが開催されない江戸川はともかく戸田に関しては逃れることが出来ず2024年のボートレースダービーでは優勝戦1号艇を獲得しダービー連覇へ王手をかけ節間中のインタビューでは「戸田が好きになりました」と発言。
しかしその優勝戦では3号艇の桐生順平の捲りを浴び大敗と苦手払拭とはなりませんでした。
ジンクス
一般戦こそ数々の優勝を挙げている峰竜太ですが、ボートレース唐津で行われるSG、G1レースを過去に一度も優勝したことが無いというジンクスがあります。
2025年に行われた地元の周年記念である全日本王者決定戦のポスターには峰竜太の白黒写真に0/14のキセキという文字とこれまでの成績が掲載。
過去との決別を期待しデザインされたこのポスターでしたが、初日のドリーム戦で転覆した峰竜太はそのまま帰郷。
その後の5日間は峰竜太が不在のまま15度目の奇跡など起こるわけもなく大会は幕を閉じる忌まわしき伝説となりました。
無神論者
ルーティンや神頼みという言葉が大嫌いな無神論者です。
レース前に決まったポーズや行動を取る選手に対して「何をやっているだろうか・・・」と冷たい目線を送っていることを告白しています。
また自身が不調になった際に両親が気を遣って何も知らされるまま神社へ連れて行かれ激怒。
不振の原因は自分自身にあると考えている峰竜太と気分転換のつもりで連れて行った両親は気持ちを踏みにじられ大喧嘩が勃発したことがあります。
結婚

20代に結婚した明華子さんは友人を通じて紹介され知り合います。
知り合った直後に趣味のスノーボードで大事故を起こし背骨を骨折し入院生活を余儀なくされた峰竜太の元へ面会時間終了間際に仕事終わりの明華子さんは毎日かけつけていました。
そんな献身的な姿を見て「こういう人と結婚をしたいな」と思い交際、結婚に至りました。
出会った当時からボートレースには一切興味が無く、結婚後も滅多にレースを観ることはないと夫婦で出演したインタビューにて明かしています。
犬猿の仲?西山貴浩

福岡支部の西山貴浩は昔から事あるごとに「峰竜太が嫌い」と発言しています。
20代だった頃にニュージェネレーションに加入を希望するも西山貴浩らを輩出した97期は史上稀に見る変わり者集団と言われていたことから岡崎恭裕より拒否。
これに対抗するべく97期生が中心となり「Suspicious Fellow(クセモノ軍団)」を立ち上げたこともあります。
「イケメンで活躍する選手は嫌い」の代表格である峰竜太に対しての辛辣な発言の一方で実際は両者認め合う仲良しであり、パフォーマンスの一環であることは周知の事実となっています。
トークショーが実施された際には考えないで何でも話してしまう峰竜太に飽きれるなど終始ツッコミに回る場面もある両者は2026年より福岡県黒崎市を盛り上げるべく「MONKEYDOG」というバーを共同でオープンしています。

黒崎市の街おこしと両者の先輩である福岡支部の谷村啓二が病気で引退することを知り「第二の人生を歩もうとする仲間を応援したい」という思いから開業に至りました。
峰竜太 まとめ
ボートレース界のスーパースターとして艇界の顔を担う峰竜太。
45歳を引退の時期と現在は設定しつつも「僕は気まぐれなので」と語り気持ちが切れるまでは走り続けながら、常に進化を続けると宣言。
佐賀支部のイメージを根底から覆し多くの後輩を育てつつも、自らも結果を出し続け2021年の忘れ物を取り戻し現役の最後を飾るべく今日も走り続けます。
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