

ボートレースにおいて、勝敗を大きく左右するプロペラ調整を支えるのが、各地に存在する「プロペラグループ」です。
昔ほどではありませんが選手たちは信頼する調整グループのもとで技術を磨き、より高いパフォーマンスを目指します。
本記事では、全国に点在するプロペラグループの実態を徹底調査。
プロペラグループとは
まず先輩レーサーと師弟関係を結ぶことでその選手が所属するプロペラグループに必然的に加わります(プロペラグループに先に所属をしてグループ内の先輩選手と師弟関係を結ぶ場合もあります)
ただし、プロペラグループの存在意義は現在と昔で異なっておりその違いについてまずは触れていきます。
かつてのプロペラグループ
昭和~平成中期それぞれの選手ごとにプロペラを持ち運んで全国でレースをしていた持ちペラ制度の時代は所属するプロペラグループの影響力が絶大でした。
所属するプロペラ巧者達が様々なデザインのプロペラを作りレースが上手い選手がそれを試して結果を報告し改善、調整を加えるという組織図が成り立っており、支部によって後輩選手のプロペラを全て先輩が製作、調整をすることも珍しくありませんでした。
良いプロペラの情報が共有されるためグループ内から活躍選手が次々と誕生するのも日常的で今では考えられないような戦いがレース外でも繰り広げられいました。

良いプロペラが誕生するとその情報が全国の支部に伝わっていきその形を真似する選手、それを応用、改良し更なる出力を生み出そうとプロペラ作りに対して選手たちは現在以上に執念を見せていました。
一方でプロペラ作りに生活の大半を拘束されてしまうため自由な時間が少なくプロペラ作りの過程で肩や腰に持病を抱えるケースも後を絶ちませんでした。
現在のプロペラグループ
休みの日の大半を利用して納得がいくまでプロペラを叩くかつてのような関係性ではなくなりましたが、プロペラを作る上で必要なゲージ(型)の製作、全国のボートレース場のプロペラやエンジンについての情報交換などに利用されています。
またプロペラグループ内のメンバーでゴルフ、釣り、バーベキューなどの趣味やレクリエーションを行うこともあり支部内の先輩後輩の交友の場となっているのは今も昔も変わりません。

プロペラグループの意義が時代の流れで変わるにつれ、先輩後輩の付き合いを苦手(嫌い)とする選手はプロペラグループに所属しないケースも珍しくなくなりました。
主なプロペラグループについて
ここからは有名なプロペラグループと所属選手を紹介。
なお今回紹介をするのはグループ名がついている(もしくは確認出来るもの)に限っていますが、この他にも様々なプロペラグループが各地には存在をしており有名選手の多くが所属をしています。
イーグル会(岡山)
主な所属選手
茅原悠紀
期 | 95 |
守屋美穂
期 | 101 |
今なお語り継がれる最強集団
持ちペラ制度全盛期に最強プロペラ集団として現在でも岡山支部の選手の多くが所属をしていたプロペラグループ。
「黒い弾丸」の愛称で恐れられた黒明良光が立ち上げ岡山最強時代を築くも持ちペラ制度の廃止と共に解散をしています。
茅原悠紀や守屋美穂といった支部を牽引する選手達が所属をしたこの集団は今でも絶大な影響力を与えています。
エテルニータ(愛知)
主な所属選手
池田浩二
期 | 81 |
磯部誠
期 | 105 |
愛知支部の交流の場
グループで親しい選手、先輩後輩の交友の場として現在でも愛知支部内において絶大な影響力を誇っています。
エテルニータに所属をしている選手たちのレーススタイルは池田浩二を真似たような強引さよりも器用さ、立ち回りを重視したレースをするのも1つの特徴です。
グループの意義通り所属選手達同士で食事、ゴルフ、野球観戦などを行う姿が選手のSNSにて度々報告されており、池田の人脈もあってかボートレース界以外のアスリートや著名人と知り合うきっかけの場ともなっています。

池田浩二が利用しているオーダーシャツ専門店「ETERNITA」が由来となっています。
なお創設時は「池田部屋」という名前でしたが、あまりにもダサすぎるという理由から改名が行われ現在に至っています。
峰グループ・峰軍団(佐賀)
主な所属選手
峰竜太
期 | 95 |
末永和也
期 | 124 |
佐賀の勢力図を塗り替える
若き日から数多くの弟子を採用し体育会系の風習が強かった佐賀支部のイメージを根本から覆した峰竜太を中心としたプロペラグループ。
峰竜太の弟子である上野真之介、山田康二らも今では末永和也や常住蓮らを弟子に持ち一大ネットワークを構築。
峰の弟子のその弟子たちも既に師弟関係を結んでいる選手がおり、プロペラグループという概念が薄まりつつある現在のボートレース界の中でも一際強い輝きを誇っています。
上瀧一派(佐賀)
主な所属選手
深川真二
期 | 71 |
吉田光
期 | 77 |
イン屋が次々と誕生した個性派集団
SG優勝を複数回達成し現役後期にはボートレース選手会会長も務めた上瀧和則が中心のペラグループ。
本人たちがこのプロペラグループのことをどのように呼んでいたかは定かではありませんが容赦なく舟を内側に入れてインから戦うこのグループに所属する選手たちは「上瀧一派」という愛称で呼ばれていました。
今では捲り差し巧者として知られる宮地元輝も上瀧一派の一員。
宮地はデビュー当初から厳しい指導を何度も受けてきたことを明かしていますが、一方で上瀧が選手会会長就任後に行った「持ちペラ制度の廃止」によってプロペラ作りから解放されレースに集中し成績が向上したことを感謝していると後に語っています。
筑豊軍団(福岡)
主な所属選手
瓜生正義
期 | 76 |
新開航
期 | 118 |
福岡最大集団
県内には福岡、芦屋、若松と3つの支部があるボートレース福岡。各地の選手が所属するプロペラグループが全盛期にはいくつも存在していました。
その中でも筑豊軍団は主に福岡地区の選手が所属するプロペラグループであり今でも20名を超える選手が所属をしています。
中間市グループ(福岡)
主な所属選手
大庭元明
期 | 73 |
今井貴士
期 | 94 |
ポンコツ会のルーツ
福岡県中間市に拠点を置くプロペラグループで先輩達から大庭元明がグループのリーダーを引き継ぎました。
大庭はプロペラ小屋に来る後輩選手達に料理を振舞うのが趣味であり、50歳を超えサイドビジネスとしてプロペラ小屋の近くに「ぎょらん亭(現 天竺)」を開業。
現在では西山貴浩、林恵佑らの集いの場となり大庭らが「ポンコツ会」として注目を集めるようになると取材や映像出演の場としても度々使用されることになりました。

林恵佑は大宰府を拠点とする「でっけん会」、西山貴浩は若松地区のプロペラグループ(名称なし)に所属。
いずれも福岡支部の選手ですがグループとしてのつながりは無く大庭自身もかつては西山のキャラクターを毛嫌いし関わりをもたないようにしていた時期もありました。
ポンコツ会に所属する選手達
プロペラグループを調査
まとめ

全盛期ほどの影響力は無いにせよ所属をしているプロペラグループを知ることで選手の特徴、傾向を掴むことは可能。
そしてこれは舟券を予想する上でも1つのファクターとなります。
あなたは今回紹介したプロペラグループ以外にどのようなグループをご存じですか?ぜひコメント欄にどんどん書き込んでください。
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