ボートレース浜名湖を徹底分析

ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)とは?

ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)は静岡県湖西市に位置するボートレース場で1953年の8月に開場後に1967年に現在の新居町周辺に移転。

洋風な佇まいをした特徴的な建物を構え日本屈指の広大な水面を誇るボートレース場としてファンはもちろんのこと走りやすい水面として選手からも人気の水面として有名。

 

ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)特徴

水面傾向

浜名湖の汽水(海水と淡水が混ざり合った水)を利用したプール水面だが、同じように汽水を利用するボートレース福岡のようなターンマーク付近にうねりや波が少なく縦、横にも広い水面ということでダッシュの選手は充分な助走距離を取って全速戦を狙いやすい。

差し、捲り差しといった選手が技を決めやすいという部分においてもボートレース福岡とは真逆の位置に存在するボートレース場といえるでしょう。

ただし海に近い位置に存在することで春から夏は向かい風、秋から冬は追い風が吹くこともあるので同じように全速戦が楽しめる木々に囲まれて風の影響が少ないといわれるボートレース多摩川とも異なる部分がある。

風との戦いは多少強いられるが広い水面は走りやすいことや、ナイター開催ではないためダッシュでも大時計が見えにくいといった障害のないボートレース浜名湖を好む選手は多いといわれる。

シード番組実施

ボートレース浜名湖では一般戦、G3では2つのシード番組が実施される。いずれもA級レーサーが有利に構成された番組となっておりここへ配置される選手は予選の得点率争いを有利に進めやすい仕組みとなっている。

 

4R ランチタイム戦 1枠にA級レーサーで残りがB1~B2(新人・勝率2~3点台)でのレース
7R ブレイクタイム戦 1・4枠にA級レーサーで残りがB1~B2級でのレース

7Rのブレイクタイムは節間の状況にもよるが1号艇にA2選手、4号艇にA1選手が配置されることからダッシュを利用した強襲で差し、捲りを決める事が多い。

ただし広い水面ゆえに捲られたとしても動きを完全に止められるような展開にならない点、4号艇の選手が展開を作ったとしてもそこに5号艇、6号艇の選手が実力の問題で付いてこれないことから1号艇の選手は強襲に舟券内で耐えて順当な決着となりやすい。

 

ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)主要レース

G1 浜名湖賞 周年記念レース。時期は不特定。
一般 薄暮だョ!B級名人大集合マクール杯 50歳以上のB級選手のみで選出。
若かりし頃の選手の写真がレース前には紹介される。
一般 黒潮盃 お盆開催。
ベテランから若手まで静岡支部を代表するトップレーサーが一堂に集結。

 

ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)舟券攻略

逃げを許さない差しと捲り差し

1マーク付近が広くダッシュ勢は十分すぎる助走距離が確保されているボートレース浜名湖で差し、捲り差しが決めやすく逃げを簡単に許さない。

そのため1コースの逃げ率は50%を少し超える程度と高くは無いのだが、間をすり抜けるような決まり手が多いことから1号艇の選手が舟券内から完全には消えにくい点は注意が必要。

3コースの選手に関しても捲る今年か出来ない選手は割引が必要で捲り差しが上手い選手のほうが狙う価値が高くなる。

2-14-全、3-124-124、4-12-全といった1号艇が2着以内に残りながらも外の選手が当たり前に連動してこないケースを想定した舟券の組み立てがおススメ。

地元・準地元・埼玉支部

走りやすいという声もある一方で広すぎる水面の助走距離とスタートまでにボートを全速で持っていくことに躊躇してしまうこともあるボートレース浜名湖。当然のことだがこの水面を知り尽くしている静岡支部の選手や準地元で一般戦でも積極的に斡旋される愛知支部の選手はチェックが必要。

特に愛知支部は器用でスマートなレースを得意とする池田 浩二や平本 真之を中心に1つの組織になっていることからその教えを請う選手たちというのは浜名湖に適した走りをしている。

また浜名湖と対照的なボートレース戸田の狭い水面で練習を重ねてターンや個々の技を極める埼玉支部の選手は広い浜名湖の水面で水を得た魚のように自在な攻めを展開し舟券に波乱要素を加える事がある。

 

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ボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)注目情報

捲り差し発祥の地

ボートレースの決まり手の1つである捲り差し。3コースより外の選手が内の艇を捲りながら選手と選手の間をすり抜けて勝つ戦法なのだがこれが生まれるきっかけとなったのがボートレース浜名湖を本拠地として活躍する静岡支部のとある選手というのはご存知だろうか?

その選手こそ「静岡の首領(ドン)」とも称される服部 幸男選手。

新人だった1990年代のボートレース界はスローの選手は1号艇の選手を見ながら少し遅れ気味にスタートをしてボートを内に潜らせて1マークから直線で抜け出す差しが主流とされた中で当時新人だった服部選手が「選手と選手の間を突けば勝てる」という発想から練習を重ねて編み出した技であった。

当時誰もやっていなかったこの技術を武器に新人ながら勝ち星を積み重ねた服部選手はデビューからわずか3年後の1992年にSG全日本選手権(現ボートレースダービー)を若干21歳にて優勝を果たした(このときに記録されたSG最年少優勝記録は現在も破られないで記録して残されている)

水面が広いボートレース浜名湖を本拠地にしてたからこそ練習もしやすく実戦でもすぐに活用する事が出来たのがこの飛躍ときっかけの一因であるのは間違いないでしょう。

 

静岡3羽ガラス


静岡支部を長年引っ張り続ける菊地 孝平、坪井 康晴、横澤 剛治の同期3人衆は「静岡三羽ガラス」と称されています。

菊地選手は北海道出身で転勤族の両親の関係で岩手へ移住。プロの地として静岡を選んだのはその後に再度転勤をした両親が住んでいる点、上述の同期2人と仲が良かったことが理由となっています(菊地選手が高校在籍時に両親は再度転勤も本人は姉と岩手へ残り暮らし続けていた)

アウトドア系の幅広い趣味の持ち主であり岡山市部の茅原 悠紀選手とは一緒にキャンプ(山登り)をしたことをきっかけに年齢、支部の壁を超えた関係を長年築いている。

坪井選手はお膝元である静岡県浜松市の出身であり高校出身後に養成所へ入学(高校の先輩には同じ静岡支部の徳増 秀樹選手がいたこともレーサーを目指したきっかけの1つで徳増選手は坪井選手のことを「やっちゃん」と呼んでいる)

サーフィンを趣味にしていることから夏場には突然日焼けをして前検に現れることもある。

横澤選手は上述の2人と異なりSG優勝こそありませんが「GORILAND(ゴリランド)」と呼ばれる超本格キャンプ施設を作り多くの後輩にも慕われる静岡支部の兄貴的存在。

父が所有していた山の土地を菊地選手と共同で購入し「こうしたい、あんな風にしてみたい」という色々な意見を採用し進化を続けていくなかで現在の形に至りました。

静岡支部の先輩・後輩が関係なくお酒を交わしながら意見を交換する場、全国を転々するレーサーの憩いの場、サイクリングやランニングといったトレーニング施設としての一面など静岡支部の選手の拠点として大きな役割を保っています。

このGORILAND(ゴリランド)には坪井選手も度々訪れるので同期3人はデビューから20年以上が経過した現在でもプライベートでも交流を続いています。

 

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